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ルート・フリット

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1962年9月1日
【身長/体重】 186cm/83kg
【ポジション】 FW,MF,DF
【利き足】 右
ストライカーからリベロまで、ありとあらゆるポジションをこなしたユーティリティプレイヤー。「グーリット」と表記されることもあります。
既存のフットボールの常識を覆す選手像は、人々から「サッカーの革命児」と呼ばれました。
ピッチ内を自由奔放に動き、あらゆる局面に顔を出す姿は「リベロ」(自由)の名に相応しく、 また、彼がオランダ出身であることや、独特の髪型(ドレッドロックヘアー)などから小説の題名に準え「黒いチューリップ」とも呼ばれていました。
その選手としての万能さ故に、「フリットが11人いるチームと、マラドーナが11人いるチームではどちらが強いか?」などとサッカーファンの間で比較される事もあるほどです。
フリットは1987年に、当時の史上最高額の移籍金でセリエAのACミランへ移籍し、マルコ・ファン・バステンやフランク・ライカールトとともに「オランダトリオ」としてACミランの黄金期を支え、数々のタイトルをもたらし、自身もこの年にバロンドールを受賞しました。
また、オランダ代表としてもEURO1998では優勝に貢献。この時代はまさにフリットの全盛期でした。
しかし、1989−1990シーズンに膝を故障、治療とリハビリに一年間を費します。この故障は引退時まで大きく引きずる事になりました。
1990年のイタリアW杯では、オランダは欧州王者として優勝候補の一角に挙げられていましたが、チーム内は監督交代など内紛を抱え、フリット自身も膝の故障から回復したばかりで、満足なプレーをすることが出来ませんでした。
そして決勝トーナメント1回戦で、この大会を制することになる西ドイツ代表と対戦し、守備の要であったライカールトの退場などもあり拮抗した展開の末、1−2で敗退しました。
オランダ代表では1992年のEURO1992を最後に代表から退きますが、当時在籍していたサンプドリアにおける好パフォーマンスもあって、1994年のアメリカW杯直前に代表復帰を果たします。
しかしディック・アドフォカート監督との間で折り合いが悪く、かねてから要望し続けたクライフの代表監督就任も遂に叶わず、出場を辞退する事となりました。
その後の1995年、フリットはイングランドのチェルシーFCへ移籍しました。
そして1996−1997シーズンからは、フリットは選手兼監督となりました。
フリットは、ジャンルカ・ヴィアリ、ジャンフランコ・ゾラ、ロベルト・ディマッテオなどのトップ選手を加入させ、リーグは6位ながらも27年ぶりにFAカップをチームにもたらしました。
また、外国人としては史上初のFAカップ優勝監督ともなりました。
そしてこの年を最後に現役を退き監督専任となりました。
しかし、翌シーズン、チームは好調であったにもかかわらず、フリットは監督を解任されます。
チェルシーに久々にタイトルをもたらした功績は大きいものの、補強に多大な資金を費やし、チーム財政を悪化させたことが後にロマン・アブラモヴィッチのチーム買収に繋がることになりました。
その後は、ニューカッスル、フェイエノールトの監督を経て、2007年11月から、ベッカムの所属するロサンゼルス・ギャラクシーの監督に就任しています。
ウイニングイレブンでの彼は、数々のポジションをこなすことが出来る上に、全ての能力が非常に高いです。
SWとして攻撃参加するのも面白いですが、OMFとして何でもアリなオフェンスをするのがお勧めです!
ただ、彼も相当怪我しやすくなってます。。。
↓89/90/ACミラン/ホーム/フリットのサイン入り

↓1990 オランダ ヘリテージ・トラックトップ

↓96/97/チェルシー/アウェイ/ネームナンバー

⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
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