ヨハン・クライフ

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1947年4月25日
【身長/体重】 176cm/67kg
【ポジション】 FW,MF
【利き足】 右
「空飛ぶオランダ人」や「オランダフットボールの父」と呼ばれ、1960年代から70年代のサッカー界を代表する選手で、今でもサッカー史上屈指のプレーヤーに位置づけられている偉大な選手です。
クライフは、オランダの名将リヌス・ミケルスが提唱した革新的な組織戦術、「トータルフットボール」の最高の体現者として知られています。
クライフは、11人の中央のポジションである「心臓部」に位置し、その俊足と抜群のバランス感覚、華麗で高度なテクニック、試合の流れを読む洞察力、そしてミケルスの意思を具現化する戦術理解力と、選手として全ての能力において優れていました。
そして試合中はフィールドの指揮官としてチームを牽引し、状況に応じてフォワードから最後尾まで至るところに顔を出すなど、ゲームメイクからフィニッシュまでひとりでこなしてしまう事ができるオールマイティプレイヤーでした。
クライフのプレーとして有名なのは、軸足の後ろ側にボールを通す「クライフ・ターン」で、現代サッカーでは基本テクニックのひとつとして各クラブの下部組織などで少年たちに教えられています。
クライフは1964−65シーズンに17歳でアヤックスにてトップデビューするとメキメキと頭角を現し、ミケルス監督の下で「トータルフットボール」を完成させ、アヤックスに栄光の時代を築き上げました。
1970〜73年まではUEFAチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)3連覇を達成、1971−72シーズンにはリーグ優勝、オランダカップ優勝、UEFAチャンピオンズカップ優勝の3冠の偉業を成し遂げています。
そして1971年、1973年、1974年にはバロンドール賞を受賞しています。
クライフの代名詞でもある背番号「14」はアヤックス時代からクライフ自身が好んで付けており、2007年にアヤックスの永久欠番となっています。
クライフは1973−74シーズンにバルセロナに移籍すると、22戦連続無敗の快進撃の立役者になるなど、チームは圧倒的な強さを誇りリーグ優勝します。
1974年にはクライフはオランダ代表の中心選手として西ドイツW杯に出場します。
名将ミケルスとクライフが率いる「時計じかけのオレンジ」と呼ばれた完成度の高いチームは決勝戦まで進み、決勝でベッケンバウアー率いる西ドイツと対戦します。
この試合、クライフは西ドイツDFのベルティ・フォクツのハードマークに遭い封じられます。
そしてクライフを封じられたオランダ代表は機能しなくなり敗れました。
しかしクライフ自身はこの大会の最優秀選手に選ばれています。
1979年にバルセロナを退団したクライフは、アメリカ・北米サッカーリーグのロサンゼルス・アズテックスに移籍し、ベッケンバウアーと共にリーグを盛り上げました。
その後クライフはスペインのレバンテを経て、1981年に古巣アヤックスに戻り、その後キャリア最後のシーズンをフェイエノールトで過ごして1984年に余力を残しながらも現役を引退しました。
その翌年、クライフはアヤックスの監督に就任します。そしてアヤックスを指揮した3年間で、フランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステン、デニス・ベルカンプらを輩出しています。
そして1988年にバルセロナの監督に就任したクライフは、低迷するクラブの再建に着手します。
多額の費用を投じて、ロナルド・クーマン、ベルント・シュスター、ゲオルゲ・ハジ、ミカエル・ラウドロップ、ゲーリー・リネカー、フリスト・ストイチコフ、ロマーリオらスター選手たちを次々獲得していき、『魅せる事』と『勝つ事』を同時にやってのけ、在任8シーズンの間にリーガ・エスパニョーラ4連覇を含む数々のタイトルを獲得してバルセロナの黄金時代を築き上げました。
このクライフが創り上げたチームは「エル・ドリーム・チーム」と称され、バルセロナの栄光の歴史に刻まれています。
その後クライフは1996年に健康上の理由で第一線を退きますが、現在もサッカー界の御意見番としてアドバイスを送り続けています。
ウイニングイレブンでは、クライフはオランダクラシックスに登場しますが、間違いなくゲーム上最高クラスの選手です!
ポジションはGK以外の全てのポジションが可能で、全ての能力がトップレベルなまさしく何でもアリの選手です!
あえてお勧めとしては、ウイングあたりでスピードを生かすような使い方が良いかと思います。
また、怪我はBなので相手チームにいる時はしつこく削るべきです!
↓1970's オランダ/ホーム/クライフ

↓1970's オランダ/アウェイ/クライフ

↓アヤックス/ホーム/クライフ

↓1970's バルセロナ/ホーム/レトロ/クライフ

↓1970's バルセロナ/アウェイ/レトロ/クライフ

↓ロサンジェルス・アズテックス/クライフ

↓ワシントン・ディプロマッツ/アウェイ/クライフ

↓1970's オランダトラックトップ

↓クライフTシャツ(名言入り)
↓クライフ's 「ドリームチーム」CL優勝記念シャツ
⇒その他のクライフ商品
この選手を気に入った方は是非ともクリック投票してあげて下さいませ

→
→

→

テーマ : ◆リーガエスパニョーラ◆ - ジャンル : スポーツ
クラレンス・セードルフ

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1976年4月1日
【身長/体重】 176cm/76kg
【ポジション】 MF
【利き足】 右
【所属】 ACミラン
身体能力に優れており、豊富な運動量で中盤を動き回り、高い守備能力で相手ボールを奪ってすばやく前線の味方の攻撃につなげる選手です。
テクニックも非常に高く、ドリブル、パス、ミドルシュートで積極的な攻撃参加をし得点能力も高いです。
また、戦術理解能力も非常に高く、移籍したどのクラブでも安定したパフォーマンスを見せています。愛称は「プレジテンテ」(大統領)。
セードルフは1992年にオランダのアヤックスでトップデビューすると、その後在籍3シーズンでリーグ優勝2回、オランダスーパーカップ2回、オランダカップ1回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回を経験します。
1995-96シーズンはイタリアのサンプドリアでプレーし、1996年〜1999年まではスペインのレアル・マドリードに在籍していました。
レアルでも、リーグ優勝、トヨタカップ、スペインスーパーカップ、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を成し遂げます。
そして1999年〜2002年まではイタリアのインテルでプレーし、2002年からACミランでプレーし、現在はガットゥーゾ、ピルロ、カカらとともに非常に安定した中盤を構成しています。
ミランでもここまで、リーグ優勝1回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝2回、コッパ・イタリア1回、UEFAスーパーカップ2回を経験しています。
非常に輝かしい実績ですが、中でもアヤックス、レアル、ミランと3つのクラブでUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験しているのはセードルフだけです!
2007年12月にはチャンピオンズリーグ通算100試合出場も果たしています。
ミランではルイ・コスタが退団してからはセードルフが背番号10を付けています。
セードルフはミランの他でも、レアル、インテル、オランダ代表でも10番を付けていたため「10番様」と呼ばれたりもします。
ウイニングイレブンでは全体的に能力が高めでオールラウンダーな選手で、非常に使いやすいです。
特にCMFで使うのが効果的かと思います。ミドルシュートもどんどん打つべきです!
⇒ 07/08 ミラン/ホーム/CL/ No.10 セードルフ選手支給品ユニフォーム
⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
↓97/98/オランダ/3rd

↓98/99/オランダ/ホーム

↓04/06/オランダ 選手用トレーニングトップ

↓06/オランダ/ホーム

↓ACミラン スカーフ(2007クラブワールドカップ限定商品!)

↓ACミラン ヨーロピアンチャンピオンTシャツ
(2007クラブワールドカップ限定商品!)

↓その他2007クラブワールドカップ関連グッズ

この選手を気に入った方は是非ともクリック投票してあげて下さいませ

→
→

→

タグ : セードルフ プレシデンテ チャンピオンズリーグ クラブワールドカップ
フランク・ライカールト

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1962年9月30日
【身長/体重】 190cm/80kg
【ポジション】 MF,DF
【利き足】 右
オランダトータルフットボール第2世代の申し子で、抜群の身体能力と守備センスで相手ボールを奪取して敵の攻撃の芽を摘み、正確なボールコントールや得点能力の高さも併せ持つプレースタイルはまさにボランチの鏡と言われ、サッカーの教科書の教材としてふさわしい選手でした。
ちなみにオランダ代表ではディフェンスラインの中央の位置でもプレーしています。
ライカールトは1980年、17歳の時にオランダのアヤックスでプロデビューしましたが、この頃からすでにヨハン・クライフにその実力を認められていました。
1988年〜1993年まで所属していたACミランでは、ルート・フリット、マルコ・ファン・バステンと共に「オランダトリオ」と呼ばれ、3度の欧州チャンピオン、2度の世界チャンピオンに輝くなど、ACミランの黄金期を築き上げました。
あの時のミランこそ「歴代世界最強のチーム」と言う専門家もいるほどです。
一方、1990年のイタリアW杯で、オランダ代表の中心選手として出場したライカールトは、対ドイツ戦において、ドイツ代表のルディ・フェラーに人種差別的な暴言を吐かれた事に対し、感情をあらわにし相手の顔に唾を吐きつけた為に2度の警告処分を受け退場し、オランダ敗退の戦犯となってしまいました。
1995年に現役を引退したライカールトは、1998年にオランダ代表監督に就任し、指導者としてのキャリアをスタートさせました。
そして2003年、当時低迷していたFCバルセロナの監督に就任します。
彼は、オランダ語・英語・ドイツ語・イタリア語・スペイン語・それに現地のカタルーニャ語を使い分ける事が出来る語学力と、巧みな人心掌握術で個性派軍団のバルセロナを見事に再建し、2004−05、2005−06シーズンのリーガ・エスパニョーラ優勝、さらに2005-06年シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝へと導いています。
ウイニングイレブンでは、オランダクラシックスに登場します。
個人的には、ゲーム上で最強のボランチだと思います!
全ての能力が高く、怪我もしません。CBとしても使えますが、ボランチに置く方が脅威だと思います。
空中戦も強すぎです!
↓1990 オランダトリオ トラックトップ

↓オランダ トータルフットボール ジャージ

↓1988 ミラン Cup Winners トラックトップ

↓99/00/ミラン100周年記念

↓バルセロナ 「ゴルドフェイス」Tシャツ

⇒
↓バルセロナ 2006チャンピョンズリーグ優勝ポスター
↓バルセロナ 04/05/集合ポスター
⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
この選手を気に入った方は是非ともクリック投票してあげて下さいませ

→
→

→

テーマ : ◆リーガエスパニョーラ◆ - ジャンル : スポーツ
ルート・フリット

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1962年9月1日
【身長/体重】 186cm/83kg
【ポジション】 FW,MF,DF
【利き足】 右
ストライカーからリベロまで、ありとあらゆるポジションをこなしたユーティリティプレイヤー。「グーリット」と表記されることもあります。
既存のフットボールの常識を覆す選手像は、人々から「サッカーの革命児」と呼ばれました。
ピッチ内を自由奔放に動き、あらゆる局面に顔を出す姿は「リベロ」(自由)の名に相応しく、 また、彼がオランダ出身であることや、独特の髪型(ドレッドロックヘアー)などから小説の題名に準え「黒いチューリップ」とも呼ばれていました。
その選手としての万能さ故に、「フリットが11人いるチームと、マラドーナが11人いるチームではどちらが強いか?」などとサッカーファンの間で比較される事もあるほどです。
フリットは1987年に、当時の史上最高額の移籍金でセリエAのACミランへ移籍し、マルコ・ファン・バステンやフランク・ライカールトとともに「オランダトリオ」としてACミランの黄金期を支え、数々のタイトルをもたらし、自身もこの年にバロンドールを受賞しました。
また、オランダ代表としてもEURO1998では優勝に貢献。この時代はまさにフリットの全盛期でした。
しかし、1989−1990シーズンに膝を故障、治療とリハビリに一年間を費します。この故障は引退時まで大きく引きずる事になりました。
1990年のイタリアW杯では、オランダは欧州王者として優勝候補の一角に挙げられていましたが、チーム内は監督交代など内紛を抱え、フリット自身も膝の故障から回復したばかりで、満足なプレーをすることが出来ませんでした。
そして決勝トーナメント1回戦で、この大会を制することになる西ドイツ代表と対戦し、守備の要であったライカールトの退場などもあり拮抗した展開の末、1−2で敗退しました。
オランダ代表では1992年のEURO1992を最後に代表から退きますが、当時在籍していたサンプドリアにおける好パフォーマンスもあって、1994年のアメリカW杯直前に代表復帰を果たします。
しかしディック・アドフォカート監督との間で折り合いが悪く、かねてから要望し続けたクライフの代表監督就任も遂に叶わず、出場を辞退する事となりました。
その後の1995年、フリットはイングランドのチェルシーFCへ移籍しました。
そして1996−1997シーズンからは、フリットは選手兼監督となりました。
フリットは、ジャンルカ・ヴィアリ、ジャンフランコ・ゾラ、ロベルト・ディマッテオなどのトップ選手を加入させ、リーグは6位ながらも27年ぶりにFAカップをチームにもたらしました。
また、外国人としては史上初のFAカップ優勝監督ともなりました。
そしてこの年を最後に現役を退き監督専任となりました。
しかし、翌シーズン、チームは好調であったにもかかわらず、フリットは監督を解任されます。
チェルシーに久々にタイトルをもたらした功績は大きいものの、補強に多大な資金を費やし、チーム財政を悪化させたことが後にロマン・アブラモヴィッチのチーム買収に繋がることになりました。
その後は、ニューカッスル、フェイエノールトの監督を経て、2007年11月から、ベッカムの所属するロサンゼルス・ギャラクシーの監督に就任しています。
ウイニングイレブンでの彼は、数々のポジションをこなすことが出来る上に、全ての能力が非常に高いです。
SWとして攻撃参加するのも面白いですが、OMFとして何でもアリなオフェンスをするのがお勧めです!
ただ、彼も相当怪我しやすくなってます。。。
↓89/90/ACミラン/ホーム/フリットのサイン入り

↓1990 オランダ ヘリテージ・トラックトップ

↓96/97/チェルシー/アウェイ/ネームナンバー

⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
この選手を気に入った方は是非ともクリック投票してあげて下さいませ

→
→

→

テーマ : こんなん見つけましたvv - ジャンル : ブログ
エドガー・ダービッツ

【国籍】 オランダ
【生年月日】 1973年3月13日
【身長/体重】 169cm/68kg
【ポジション】 MF
【利き足】 左
【所属】 アヤックス
当たりの強さ・無尽蔵のスタミナを持ち、守備の読みも鋭く、相手にどこまでも食らいつく守備能力の高さを持つボランチで、「闘犬」と呼ばれています。
一方で瞬時にセンス溢れる攻撃の起点となるボランチでもあり、強靱な体から放たれる抑えのきいたミドルシュートも武器です。
さらに戦術眼もあり、プレーメーカーの役割も得意としています。
また、アヤックスのユース時代はFWだったということも生かし、時折みせる前線への飛び出しも相手チームの脅威で、シザース等のテクニックにも秀でている等、世界最高のボランチの一人です。
ダービッツは2000年に左目に緑内障を発症し失明の危険もありましたが、手術により克服し特殊防護ゴーグルを着用することとなりました。
そのゴーグルは今ではダービッツのトレードマークとなっています。
また、ダービッツは“キレやすい”ことでも有名で、道で口論になった男をメリケンをつけた拳で殴りつけ、裁判→賠償金となったケースなど、20代の頃は多くのトラブルを起こしています。
ダービッツは、1998年のフランスW杯では6試合に出場、決勝トーナメント1回戦ユーゴ戦では、試合終了間際に強烈なミドルシュートを叩き込んで勝利に貢献しています。
また、ダービッツがこれまで所属してきたクラブは、
アヤックス(1991-1996)→ACミラン(1996-1997)→ユベントス(1997-2004)→FCバルセロナ(2004)→インテル(2004-2005)→トッテナム(2005-2007.1)→アヤックス(2007.2-)
とBIGクラブばかりです。
ウイニングイレブンでは、最近は新作が出るたびに能力が低下している傾向で残念です。
それでもスタミナは高く、本当によく動き回ってくれます。
ポジションは中盤はOMF以外すべてできますが、やはりダービッツはボランチが最適だと思います!
↓07/08/アヤックス/ホーム/半袖

↓07/08/アヤックス/アウェイ/半袖

↓00/02/オランダ/アウェイ

⇒ インテル 選手支給品・実使用品等
⇒ ユベントス 選手支給品・実使用品等
⇒その他のダービッツ商品
この選手を気に入った方は是非ともクリック投票してあげて下さいませ

→
→

→

テーマ : 男性ファッション全般 - ジャンル : ファッション・ブランド
| HOME |




























