エンリコ・キエーザ

【国籍】 イタリア
【生年月日】 1970年12月29日
【身長/体重】 176cm/70kg
【ポジション】 FW
【利き足】 右
【所属】 シエナ
抜群のスピードと強烈なシュート、そして天性のポジショニングでゴールを量産し、セリエA通算350試合出場を誇るストライカーです。
また、パスやクロス、フリーキックも上手い選手です。
キエーザは1986年にキャリアをスタートさせましたが、当初はなかなか出場機会に恵まれませんでした。
しかし、1993年に移籍したセリエBのモデナで才能が開花します。
1995-96シーズンにはセリエAのサンプドリアに移籍し、22得点を挙げて得点ランキング3位に入る活躍を見せました。
その翌年にはパルマに移籍し、ここでもゴールを量産して、1998-99シーズンにUEFAカップ優勝を成し遂げます。
1999年にはフィオレンティーナに移籍します。当時、ガブリエル・バティストゥータが去って元気が無かったチームでしたが、キエーザの存在がいくらかの慰めになりました。
しかしそのキエーザも2001-02シーズンに靭帯損傷の大怪我を負い戦線離脱、そしてフィオレンティーナは、あっけなく2部降格しました。
その後はラツィオを経て、2003年からはシエナに在籍しています。
キエーザはイタリア代表としては1998年のフランスW杯に出場しています。(背番号20)
ウイニングイレブンではストライカーとして十分使える選手です。
特殊能力が多く、ミドルシュートも付いています。
さらに、ゴールすると固有実況が聞けます!!
↓07/08/シエナ/ホーム

↓05/06/シエナ/アウェイ

↓05/06/シエナ/3rd

↓00/01/ラツィオ/100周年記念

↓95/96/サンプドリア/アウェイ

↓95/96/サンプドリア/チェンジ shirt-RED

↓07/08/パルマ/アウェイ

↓98/99/イタリア/ホーム

↓98/99/イタリア/アウェイ

↓96/98/イタリア/ホーム

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フランコ・バレージ

【国籍】 イタリア
【生年月日】 1960年5月8日
【身長/体重】 176cm/70kg
【ポジション】 DF(SW)
【利き足】 右
1980年代から90年代のサッカー界において「世界最高のリベロ」と言われた名ディフェンダーで、イタリア史上最高のキャプテンと称されている選手です。
バレージはその高いディフェンス能力はもちろん、戦術眼にも優れており、常に冷静にディフェンスラインを統率しながら味方を指揮して相手のボールの出所を封殺していました。
また、DFとしては決して大柄な体格ではないのですが、1対1も強く、相手との駆け引きや間合いの取り方が非常に巧くて、相手ストライカーのスピードを封じてしまうようなマークをしていました。
バレージは14歳の時、1974年にACミランのプリマヴェーラ(ユースチーム)に入団しました。
そして1978年にトップチームに昇格、プロデビューを飾ります。
翌年にレギュラーに定着したバレージはリーグ優勝に貢献し、一躍クラブの主役となりました。
しかし1980年、イタリアサッカー界に大規模な不法賭博スキャンダルが発覚し、事件に関与したとされたACミランはSSラツィオと共にセリエBへの降格処分となりました。
1シーズンで1部に昇格したミランでしたが、スキャンダルの余波で主力選手が次々と移籍し、バレージ自身もウイルス性疾患を患い数ヶ月の離脱を余儀なくされ、1981−82シーズン、チームは14位に終わり再び降格します。
この時期はチームもバレージもまさに暗黒の時代でした。
その間にもバレージの元には魅力的なオファーが次々と届いており、ミラニスタ(ミランサポーター)でさえ、バレージがミランの元を離れるのは仕方のない事だと思っていました。しかしバレージは頑としてミランと運命を共にする事を選びます。
その後1983年にミランはセリエAに復帰しますが、不振な成績が続き人気も下降します。当時のインタビューによれば、選手たちへの給料配布も週給となり、経営難から支払いが止まることもあったといいます。
そんな暗黒のミランでしたが、1986年に実業家シルヴィオ・ベルルスコーニがミランの会長に就任するとクラブの経営状況は一変します。
豊富な資金力で翌1987年に2人のオランダ人、ルート・フリットとマルコ・ファン・バステンを獲得、さらに当時無名であったアリゴ・サッキを監督に就任させました。
そしてサッキ監督の提案するゾーンプレス戦術をバレージは見事に体現してチームを牽引し、当時若手だったパオロ・マルディーニやアレッサンドロ・コスタクルタとともに強固なバックラインを形成します。
そしてこのシーズン、ミランはディエゴ・マラドーナを擁したSSCナポリを押さえスクデットを獲得しました。
1988年にはフランク・ライカールトが加入し、主将バレージ率いる守備陣と「オランダトリオ」とが見事に機能し、圧倒的な強さでUEFAチャンピオンズカップを獲得します。
以降1990年代半ばまでの数年間、ACミランはリーグ優勝、チャンピオンズカップなど数多くのタイトルを獲得するなど、黄金時代を築き上げ、バレージは主将として、そして不動のディフェンスリーダーとしてチームを牽引し続けました。
バレージは1990年のイタリアW杯では、イタリア代表のキャプテンとして全7試合にフル出場し3位の成績でした。
1994年のアメリカW杯では、大会中に膝を痛め一時戦線離脱しますが、すぐに手術を行い、驚異的な回復を見せて決勝の対ブラジル戦で復帰します。
そしてバレージは病み上がりとは思えないパフォーマンスを見せ、バレージ、マルディーニらのイタリア守備陣は、大会最強のツートップと言われていたロマーリオ、ベベットを封じ込めてブラジル攻撃陣を零封しましたが、PK戦でバレージ自身も失敗してチームは敗れ、準優勝に終わりました。
バレージは1997年に現役引退を発表します。
ミラン一筋であったバレージは、ミランで「541」試合に出場しており、これは同一クラブにおける通算試合出場数のセリエA歴代2位の記録となっています。
(2007年現在、1位はパオロ・マルディーニ)
バレージは引退後、ACミランのプリマヴェーラのコーチとACミランの名誉副会長職に就任しています。
またバレージの功績に敬意を表し、バレージの象徴であった背番号「6」はACミランの永久欠番とされました。
ウイニングイレブンではイタリアクラシックスに登場し、ディフェンスに必要な能力と特殊能力を全て兼ね備えています!
やはりSWとしてディフェンスの中心に配置すると、非常に頼りになる選手です!
→ACミラン 選手支給品・実使用品等
→イタリア代表 選手支給品・実使用品等
↓1990/イタリア/ホーム/BARESI

↓02/03/イタリア/ホーム/BARESI

↓07/08/ACミラン フーデッドトップ

↓95/96/ACミラン/3rd

↓99/00/ACミラン/100周年記念ユニホーム

↓1988/ACミラン ヘリテージトラックトップ

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アレッサンドロ・デル・ピエロ

【国籍】 イタリア
【生年月日】 1974年11月9日
【身長/体重】 173cm/73kg
【ポジション】 FW(ST)
【利き足】 右
【所属】 ユベントス
優れたテクニックと豊富なバリエーションのプレーを持ち、そして非常に華麗で芸術的なプレースタイルから「20世紀最後のファンタジスタ」や「ピントゥリッキオ」(イタリアの画家)と言われている人気選手です。
デル・ピエロはST(セカンドトップ)のポジションを専門としており、左サイドからゴール前にドリブルで切れ込むプレーを得意としています。
特に、ゴール前左45度は「デル・ピエロ・ゾーン」と呼ばれていて、この聖域から右足のインフロントで放たれたボールが美しい弧を描いてゴール右隅に吸い込まれるというシーンは数多くのハイライトを生み、多くの観客を魅了しています。
またフリーキックの精度やトラップの技術も一級品で、次のプレーに最適な場所にワンタッチでボールをコントロールする事ができる選手です。
デル・ピエロは1991年に当時セリエBのパドヴァでキャリアをスタートさせました。
そして1993年からセリエAのユベントスに所属し、ミシェル・プラティニやロベルト・バッジョといった名選手たちが背負ったユベントスの栄光の背番号「10」を若くして引き継ぎます。
それからは、1995-96シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ制覇、1997-98シーズンはUEFAチャンピオンズリーグ得点王、さらに2004年までに5度のスクデット獲得(リーグ優勝)を経験しています。
ユベントスは2006年に発覚したカルチョ・スキャンダル(八百長問題)でセリエBへと降格してしまう事になり、チームメートであったイブラヒモビッチやファビオ・カンナバーロらが次々とチームを去って行きました。
デル・ピエロもイングランドの強豪マンチェスター・ユナイテッドからのオファーが届いていましたが、彼は真っ先にチームへの残留を表明します。
そしてデル・ピエロに続くようにネドベドやブッフォンらも残留を決意しました。
デル・ピエロは結局そのシーズンのセリエB得点王に輝き、1年でのセリエA復帰の原動力となりました。
デル・ピエロは1995年3月にイタリア代表デビューをし、FIFAワールドカップには1998年のフランスW杯、2002年の日韓W杯、2006年のドイツW杯と3大会連続で出場しています。
1998年大会では、元祖ファンタジスタのロベルト・バッジョは背番号18を付け、デル・ピエロが背番号10を付けていました。
2000年代からは自身の不調もあって背番号「10」をフランチェスコ・トッティに譲っていましたが、今でもアズーリ(イタリア代表)に欠かせない存在です。
2006年大会では、準決勝のドイツ戦で延長戦から途中出場し、アルベルト・ジラルディーノからのパスを受け、得意の「デル・ピエロ・ゾーン」から2点目となるダメ押しゴールを決めています。
そしてフランスとの決勝戦はPK戦までもつれ込みましたが、デル・ピエロは4番手キッカーとして登場してきっちり決め、イタリアは1982年のスペインW杯以来の優勝を飾りました。
ちなみにサッカー界のご意見番でカルチョ(イタリアサッカー)には特に痛烈な批判をする事で知られているヨハン・クライフもデル・ピエロに対しては、
「私はどんなイタリアのプレイヤーよりもデル・ピエロを好む。彼のプレーはとてもファンタスティックだ。ただ強いて言うなら彼はイタリアに生まれるべきではなかった。イタリアサッカーは彼がそのプレースタイルのままでいようとすることを許さないだろう。」
という賛辞を送っています。
ウイニングイレブンでは新作が出る度に能力が落ちつつありますが、それでも使いたくなる選手です。
テクニック、ドリブル、フリーキックの能力はまだまだトップレベルで、さらにはゲームでも「デルピエロ・ゾーン」の概念は存在します!
ポジションはもちろん左サイドのSTに配置、彼のゾーンに入ればとことんゴールを狙ってみて下さい!
ゴールを決めれば固有実況も聞けます!
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↓06/08/イタリア/ホーム

↓07/08/ユベントス/ホーム

↓04/06/イタリア/アウェイ

↓02/03/ユベントス/アウェイ/CL

↓05/06/ユベントス/アウェイ

↓07/08/ユベントス Culture ポロシャツ

↓97/98/ユベントス 100周年記念シャツ

↓2005/06 ユベントス集合ポスター
↓03/04/チャンピオンズリーグ HOT-SHOTS! ポスター
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ジェンナーロ・ガットゥーゾ

【国籍】 イタリア
【生年月日】 1978年1月9日
【身長/体重】 177cm/77kg
【ポジション】 MF(DMF)
【利き足】 右
【所属】 ACミラン
無尽蔵のスタミナで試合終了の笛が鳴るまでピッチを縦横無尽に走り回り、強烈なタックルでボールを奪いにいく闘争心あふれるボランチで「番犬」や「闘犬」、さらには「うなり屋」と言われています。
ガットゥーゾはACミランでもイタリア代表でも中盤の要のプレイヤーで、「ボールがあるところにはガットゥーゾがいる」というほど、相手のボールホルダーに対して常に厳しいプレスをかけます。
ACミランではカカやピルロの分まで走っているとも言われ、「ピルロの用心棒」なんていう言われ方もしますが、前線の攻撃的な選手が自由にプレーできるのも彼がいるからこそです。
2007年度のUEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝セカンドレグの対マンチェスター・ユナイテッド戦でそれまで絶好調だったクリスティアーノ・ロナウドを封じ込め、決勝戦のリバプール戦ではジェラードを「子猫のようだ」と言って封じました。
また彼は調子のムラがほとんど無い事でも知られています。
そんな献身的で闘争心溢れるガットゥーゾは感情も豊かで、喜びのあまり奇行を働くこともしばしばあります。
2006年のドイツW杯では、グループリーグの対チェコ戦でフィリッポ・インザーギがゴールした際に、当時の代表監督のマルチェロ・リッピのもとに駆け寄っていって、突然その襟首を掴んでノド輪を食らわせました。
決勝トーナメント初戦のオーストラリア戦では勝利後には、オーストラリア監督のフース・ヒディンクのもとに駆け寄って行って、両手を突き上げて小馬鹿にし、ヒディングに追い払われてもかまわず続けていました。
イタリア優勝後のセレモニーではユニフォームの下を脱いで下半身パンツ一丁になってピッチの芝を食べだし、リッピ監督の髪の毛をつかんで頭を揺さぶるなどしました。
その後、ガットゥーゾはファビオ・カンナヴァーロによって坊主頭にされてしまいました。
しかしこれらの奇行もガットゥーゾのキャラならでわで、ファンからは非常に人気があります。
2006年にイタリア代表でW杯を制し、2007年にはACミランでチャンピオンズリーグを制したガットゥーゾは、2007年12月、クラブワールドカップのタイトルを取るために来日しています。
ウイニングイレブンでは、テクニックなどオフェンス能力には欠けますが、スタミナやパワーは十分で中盤の要となって動き回ってくれるはずです!
⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
⇒ イタリア代表 選手支給品・実使用品等
↓06/07/ACミラン/ホーム

↓06/07/ACミラン/3rd

↓06/08/イタリア/ホーム

↓ガットゥーゾ着用モデル

↓kappa イタリア ダウンジャケット

↓2006 イタリア代表集合ポスター
↓2006 イタリア代表ポスター
↓2007クラブワールドカップ関連グッズ

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タグ : ガットゥーゾ 闘犬 ACミラン クラブワールドカップ イタリア代表
パオロ・マルディーニ
↑ポスター!
【国籍】 イタリア
【生年月日】 1968年6月26日
【身長/体重】 186cm/85kg
【ポジション】 DF
【利き足】 右
【所属】 ACミラン
世界で最も偉大な現役選手の一人で、ACミランの主将でもあり、「ミランのバンディエラ(旗手)」として絶大な人気を誇っている最高クラスのカリスマ選手。
果敢な攻撃参加、1対1での圧倒的な強さ、状況判断の良さ、世界最高とも言われる戦術理解能力で、10年近く世界最高の左サイドバックの座を守り続けた選手です。
マルディーニは、1984年に16歳でセリエAにデビューしてからACミラン一筋で、20年以上もなお一線級でプレイし続ける驚異的な存在で、イタリア代表でも史上最多の126試合出場を記録した他、2007年2月にはチャンピオンズリーグ通算100試合出場(5度制覇)を達成、さらに同年3月には史上初となるセリエAのリーグ通算600試合出場(7度制覇)を達成しています。
イタリア代表としては、1990年イタリアW杯、1994年アメリカW杯、1998年フランスW杯、2002年日韓W杯に出場し、フランコ・バレージの引退後はキャプテンも務めていましたが、優勝することは出来ませんでした。
一時期は衰えを指摘され、スピード不足を露呈していたマルディーニでしたが、本格的にセンターバックにポジションを変え、代表チームを引退してからは、再び世界トップレベルのDFとして復活しました。
最近では、体力面で全盛期には程遠いとはいえ、能力的には世界においてもいまだトップクラスのディフェンダーの一人で、チームの精神的支柱としても重宝されています。
そんな彼も2007年7月限りで現役引退を示唆していたのですが、同年12月に日本で行われるクラブW杯のタイトルを取るためにあと1年現役続行を決心したようです。
ちなみに、マルディーニがACミランでつけている背番号3は、フランコ・バレージのつけていた背番号6と同様に永久欠番になる事が既に決定されています。
ウイニングイレブンでは、ずっと最高クラスのDFでした。
近年はスピードの能力が落ちているので、CBとして使った方が良さそうです。 とりあえず鉄壁です!逆足精度やメンタリティも高すぎます!
⇒ ミラン 選手支給品・実使用品等
⇒ イタリア代表 選手支給品・実使用品等
⇒ adidas 07/08 ミラン CL 選手支給品 プレゼンテーションスーツ
↓98/99/イタリア/アウェイ/長袖

↓06/07/ACミアン/3rd/半袖

↓07/08/ACミラン ポリエステルスーツ

↓ACミラン ナンバーTシャツ3(2007クラブW杯限定グッズ!)

↓ACミラン ニットキャップ(2007クラブW杯限定グッズ!)

↓2003 ミランCL優勝ポスター
⇒その他のマルディーニ商品
↓2007クラブワールドカップ関連グッズ

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